2011年05月10日
コットンCSRサミット2011 レポート(後篇)
オーガニックコットン界のパイオニアたちの取り組み
コットンサミット、最後のトークセッションは「製品、市場とバリューチェーン全体を考える」をテーマに、大正紡績株式会社 近藤健一さん、興和株式會社 稲垣貢哉さん、池内タオル株式会社 池内計司さん、株式会社アバンティ 渡邊智恵子さん、モデレーターとしてパタゴニア日本支社 篠健司さんが登壇。日本のオーガニックコットンに創世記から関わられているパイオニアの方々が勢揃いしました。
近年、目覚しい躍進をみせるオーガニックコットン市場。今では、世界中のブランドやメーカーが積極的にオーガニックコットンを取り入れ、製品の売上高は2001年の2億4500万ドルから、現在では43億ドルまで増加しているのだそう。では、どうして数ある素材のうちコットンばかりが注目されているのでしょうか? それは「すべての繊維素材のうちの50%近くは綿からできていて、100以上の国で5000万人以上の農民が綿花栽培に従事しているからです。また、非常に多くの農薬が使われており、特にアメリカなどで使用される農薬には、枯葉剤や成長抑制剤などのガンのような病気になりやすい成分を含んだものを使用しているのです」(稲垣さん)。つまり綿畑を変えることは、環境を改善する大きな一歩になるのです。
そんなオーガニックコットンを、エンジニアの視点から見つめ続けてきたのが大正紡績の近藤さんです。近藤さんは、18年間に渡り紡績工場や染色工場を作る技師として、世界各国を渡り歩いてきました。そして1989年、ニューヨーク・タイムスに掲載されていた、サリー・フォックスという昆虫学博士であり、オーガニックコットンの発展に貢献した女性の記事をよんだことがきっかけで、オーガニックに目覚めたのだそう。
「1994年に大正紡績は負債を抱えて諦めようとしていたけれど、紡績のモノづくりの火を消すな、ということで、なんとかオーガニックコットンを続けたんです。すると、初年度1トンの生産量だったオーガニックコットンが、去年には1000トンになりました。大正紡績は、オーガニックコットンのおかげで24年間続いた赤字がとまったんです。高い安いは価値観。値打ちがあれば、受け入れられます。私が最後に得た答えは、人を幸せにするのはオーガニックコットンか、手摘みのノン枯葉剤コットンということです」(近藤さん)。
オーガニックコットンの使用比率が89.9%にも及ぶという池内タオル。この会社の代名詞といえば、「風で織るタオル」です。
「自分たちがタオルを作る工程での環境負荷をどこまで下げるのか。そのひとつが、風力発電への転換でした。環境に優しいオーガニックコットンを作ってくれるお百姓さんと、高くても買ってくれるエンドユーザーが環境に優しいだけでは、池内タオルは環境ビジネスをしているだけ。それでは、環境に優しくないんです。自分たちの作りたいものを作っているので、儲ける気がないからモデルチェンジはしないし、取引の条件も厳しく定めてやってきたんですが、それが今まで続いているんです」(池内さん)。今年からは、ワインのようにその年ごとのタオルの風合いを楽しむ「コットンヌーボー」というプロダクトを立ち上げ、日本で初めてタンザニア産のオーガニックコットンを採用しました。
オーガニックコットン一筋のアバンティは、1990年にアメリカのオーガニック生地を輸入することからスタートしました。
「その後、テキサスで作られている糸を輸入したのですが、とてもラフ過ぎて日本のマーケットに合わなかったんです。そこで、1993年にテキサスから綿を輸入し、日本で糸を作るようになりました。それ以来、アバンティはメイドインジャパンにこだわり、北は山形、南は岡山まで、全国139社の工場で紡績、生地、縫製をお願いしています」(渡邊さん)。
パタゴニアでは、1996年から綿製品のすべてにオーガニックコットンを採用しています。
「パタゴニアはアウトドアウエアを取り扱っているため、フィールドである自然環境を守らなくてはいけません。最高の製品を作って環境に与える負荷を最小限に抑え、ビジネスの手段として環境を捉えながら、課題を解決していく試みをおこなっています。また、責任あるアパレルビジネスを営むものとして、人権や健康などの基本的な生活の質も守っていかなくてはならないと思っています」(篠さん)。
パタゴニアのサイトで展開している「フットプリントクロニクル」では、消費者のコミュニケーションの場として、製品ができるまでに使われたエネルギーや二酸化炭素、廃棄物の発生量、水の消費量などの情報を公開しています。
震災後、コットン業界が担う使命
今年3月11日に起きた、東日本大震災。日本を揺るがす凄まじい規模の災害は、コットン業界にも少なからず影響を及ぼしました。
アバンティでは、提携している工場のうち岩手県の2社と宮城県の1社が被災し、そのうちの2社が廃業に追い込まれてしまったといいます。
「仕事は夢や希望を繋ぎます。だからなんとか、東北の人たちに仕事をしてもらいたい。そこで今、5万人の雇用を創出するプロジェクトを立ち上げようとしています。第一次産業、第二次産業が元気にならなくては、日本は弱くなってしまうのではないでしょうか」(渡邊さん)。
近藤さんは被災地に直接赴き、その悲惨な現状を目の当たりにしました。そこで仕事を失った若者たちの姿を見て、塩害にあった土地を綿畑にするという復興支援のプロジェクトが近藤さんの頭に浮かんだのだそう。
「世界108カ国の畑を歩いてきた私の経験上、塩に強いのはコットンとリネンなんです。香川県でも、埋立をするとまずコットンを植えて、3年くらいしてからお米へと移行していくんですよ。被災地からも"綿の種をくれたら撒くよ"と言われていて、とりあえず種を送りまくっています(笑)。そして、秋になってそこで採れた綿をすべて買いあげようと思っているんです」(近藤さん)。
実はこの取り組みが今回のセッションに参加した方々の賛同を得て、一気に広がりを見せようとしています。
「日本の物づくりは、海外でも受け入れてくれる。だから、なんとか残していきたいんです。被災地の人たちからも"物をもらうだけの生活はもう嫌だ、何か仕事をください"という話をもらったので、手縫いのバッグを作ろうと思っていて。その原料に、被災地で採れた綿を使えたらいいですよね」(稲垣さん)。
「近藤さんが宮城に種を送っているということを聞いて、僕は決めたんです。この秋に、コットンヌーボー2011 宮城をリミテッド・バージョンで出そう。ノウハウはたっぷり持っていますから、糸にさえしてくれればいい。今日、この話を聞けて、本当に来た甲斐がありました」(池内さん)。
オーガニックコットン会の重鎮から、これからを担う若き挑戦者までが、垣根を超えて一堂に会した今回のサミット。互いの取り組みを共有して意見を交わし合うなかで、それぞれがオーガニックコットンに注ぐ情熱を確かめ合うことができました。さらにサミットをきっかけに見えてきたのが、コットンを通じて被災地を支援するという新たなモデルケース。これも、コットンに携わる方々が集まるサミットだからこそ、生まれた動きと言えるでしょう。
よりよい社会へと向かう確かな手応えが感じられたサミットは、大盛況のうちに幕を閉じました。
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